いのうえメモ

時々、投稿しています。思ったことを書きます。自分用メモになりがち汗。

人と話したい

人と話さないで、一人でいる時間が長いのは、人が嫌いなわけではない。
むしろ人に話しかけられれば、笑顔で応じることは出来るし、嬉しいや楽しいと思える。

なのに、自分から動いてまで人と関わろうとしなかった。
そうして人との関わりが減っていき、その結果、対人能力が低下していき、自分の世界が肥大していき、人との空気間の共有も難しくなっていった。

本当は人と話したいのだと思う。本心は。
だって、友達とか恋人を作って楽しそうにしている。青春を送っている人達に憧れを持って、羨ましく思ったりすることがあるから。
自分もそういう青春や人付き合いの充実した生活が欲しいから、その人達に劣等感を持って辛くなる。

人と関わらない選択をした日々の積み重ねが、友達と呼べる人がいない現状を招いた。


本当は人と話したい。そのためには自分から動かないといけない。人に関わりにいかないといけない。
そこに気付いた今なら、人のために動くことができる。
人からの誘いを待つだけではなくて、自分から人を誘える。


自分は他人に対して、あまりにも自分からはアクションを起こさないために、ついさっき数少ない友人まで失いかけていることに気付いて焦った。
正直、友達付き合いを増やしたいという気持ちは、ないものねだりをしているだけで、自分には必要ではないものを望んでいるだけで、もっと他のところに力を使うべきなのではないか、というような、人付き合いの必要性に対して、まだ迷いはあるけど。
人と関わらないから、人が苦手になっていくのは事実だと思うから。
ひとまず、その人達に対しては自分からも動こうと思った。
人と関わる時間を増やすために。


あと、人からのアクションを待つだけでは相手を疲れさせる関係となるとも思った。それは相互ではなく、片方だけフォローしているような。
お互いに気持ちよくなれずに、片方だけ必死な関係だと思った。
自分がそれをしていた。だから誘われることがなくなったのだと思う。
誘うことに関して、いや遊んでいる間も、相手に任せっきりだったから。
そう思って、自分からも動くことに決めた。


以上。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます


8/29追記
迷う必要なく、人付き合いをするのが、当たり前のことと気付いた。一緒に働く人達とか、しないといけない人付き合いがあることに気付いたから。それを避けるのは間違いだとわかった。
だから、人付き合いするか迷うという時点でおかしい。皆我慢してやっていることをやるかどうか迷うなんて何様だ、という話になるから。
無理して社交的にならなくてもいいかもしれない、多分、それでも最低限は必要だとわかった。
社会で生きるなら。
プライベートでまでたくさんの人と関わらないといけないとか、そういう無理難題を目指さずに、せめて会社の人達とは上手く付き合うということを目指すことが正しいと思った。
自分は人付き合いが上手い人間ではないから、プライベートでたくさんの人と遊びまくるということは現状相手がいなくて出来ない。
だけど、それは別に悪いことではないと思った。そういう向いていないだろう部分を、無理して伸ばそうとするのではなく、
とりあえず人付き合いに関してなら、同居している家族、会社で一緒に仕事をする人達とは、上手く付き合うようにする。
それを目標にすればいいと思った。

それは間違ってはいないはずだし、悪いことでもないだろうから。

以上。

ここまで読んでいただき(いるなら汗)、ありがとうございます