いのうえメモ

時々、投稿しています。思ったことを書きます。自分用メモになりがち汗。

悪い空気を弾き出す

ふと思ったことだが、生きるための方法として、
悪い想定をしてそれを回避するように、悪いものを回避しながら良くなろうとする方法と、
もう一つ、良い想定をしてそれを目指してストレートに良くなるようにする方法があると思った。

身近な人にネガティブな人ではないけど、悪い想定をしてそうなったら駄目だよと諭すタイプの人がいて、しかし皆が皆そうではないと思い、反対に良い方向を見据えて向かっている人もいるだろうと思い(そういう印象を受けた人を直接見たわけではないので、ただの想像だが)これを書いた。

自分もどちらかというと、悪い想像をしやすくて、不安も感じやすいので、回避するタイプである。
ただ、良いものを取り入れることもするので、わがままだ。
悪いものは弾き出して、良いものだけ残そうという神経を持っている。
そういう都合の良い生き方をしないと、悪いものは溜まる一方と気付いたから。
この最近で悪いものを弾くことを覚えて(というよりその感覚を、そうすることは間違っていなくて正しいことだということを思い出して)、外から流れてきた悪い空気や気質を弾くことを再開した。

これまで悪いものを受け止めて、離さずに生きたまま、損をすることが多かった。
世の中を知らなくて、意味もなくたくさんの負担を背負っていた。その生き方は愚の骨頂で、自分が損をして嫌われるだけで、誰も得しない、ネガティブそのものな生き方。
そんなことをしていた。何故だかいつからか、それが正しいという思考に陥っていて、それは気の弱さから悪い空気を弾けなくて、心はどんどん疲弊して弱くなるという悪循環という状態だった。いろいろな能力が低下するのも当然の結果、力の源の心が荒んでいたのだから。

しかし、ここ数日ではっきりと、悪い空気を突き放して、弾き出して、自分のものではないとはっきり意識して体(心)の外に出す、場合によっては特定の相手から流れてきたものと判断して、この気質や考えは自分のものではないという思いを強めることが、人として生きていくのに必要なことだとわかった。
あと悪い空気だけではなく、良い空気、心地よい空気もそれが人のものだとわかったなら、弾かないといけない。そもそも気というものにとらわれること自体が良くないから。全部弾いたほうがいいくらいだ。

一瞬どこからかやっていた、誰かの気質に逐一左右されていたら、自分の軸はぶれぶれになり、何をするにも一貫性がなく、そのうち目的や生き方も意図せずに変わってしまう。
だから感じた気は全部弾き出すべきだと悟った。

そんなことに気付いたのがつい最近のこと。
ちゃんと働くことを選んだから、そういう大事な感覚な舞い戻って来たのだろう。
だから、今これを書けている。

自分の一番好きな書くという行為が滞りなく、自由に出来るようになっている。
働く決意と実際に働いている状態だから出来ていること。
辞めればまた失うだろう。話は脱線したけど、最初の話をなぞるなら、辞めれば書くことも思考の自由も失うと知っているから、その悪い想定を回避するために、今の仕事を辞めてはいけないと思っている。
働き続けるという自己にプレッシャーを課す決意ではなく、失いたくないから辞めないという、悪い状況を回避するための決意をする。
今の自分を失いたくなくて、今の自分を保ちたいから。

といっても、若い身空で今を保つという決意もちょっと違うのかもしれない。
成長しないといけないから、だから最低ラインより下がらないよう現状は保ちつつ、新しいこともしていくというようなニュアンスで、保つという言葉を使わないといけないのだろう。

このブログ記事では、久しぶりの長文を書いた。

結論、気の弱さは損をする、いいわいいわで人に流されていては自分の意思を失う、それによるストレスは人に向けるのは筋違いなので、最初から他人の気を受け取らないよう弾き出しながら生きないといけない。
そのために人を悪者にしたとしてもいいから、悪いものは悪いとはっきり言えて、自分(自分らしさ)を守ることは大事なこと。
空気が読めないや、自分大好き、協調性がないと言われることがあっても、それを気にして自分らしさを失って一人勝手に生き辛くなっていては意味がない。
最低限の社会のルールは守りつつも、同時に自分も守りながら生きたり、働かないといけない。
悪い方向に進ませる気質や、落とし穴はそこらにあるから。そういうものに気を許して侵入されてしまうと侵入された本人だけが損をするから。
他人によって奈落の底に落とされても、落とされた自分が悪いということになり、どんなに嘆いても味方はいなくて現状も変わらない。それでも、余計なことばかり考えていないで、すぐさまその奈落の底から抜け出せば、その時周りの人からは良い評価をもらえる。

つまり、損をして嘆いても意味はない、誰も助けてくれない。
しかし、一瞬損をしてもすぐにその気分、空気から抜け出して(切り替えて)、自分らしさと正しい行いをすれば、人にちゃんと認めてもらえる。

ということに気付いた。
思ったよりも長くなった。


ここまで読んでいただき、ありがとうございます。