音が鳴るから
自分の意思で何かをすると、周りの何かが気になって、それをやめてしまう。
周りの何かとは、誰かがたてた音だったり、人の話し声だったり、行動を始めた瞬間に訪れる空気の変化だったりする。
それらは、自分に向けられたメッセージではないとわかっているのに、自分の心が勝手にそれを気にして、自分のしている行動が駄目だと思ってしまう。
そこまでわかっているのに、心はそれを理解しなくて、いつも周りの人を気にしている。
家の中ですら、ゲームや漫画や小説、テレビやスマホ、娯楽をやるのもいけないことに感じる。
それでも、無理矢理やろうとすると、周りでは音が鳴り響く。その音は自分にとって、威圧的で、聞くと心が萎縮してしまう。
その音は周りの誰かの生活音(それもさほど大きくもない、気にしていなければ聞こえないかもしれない)であって、何の意味を込められていない。
それでも、その音を聞くと、否定された気になって、今している行動をやめてしまう。
これを相談する相手もいなくて、しかし誰かに向けて言いたくて、これを書いた。
メンタルクリニックに通えば、先生の意思を気にして、ありのままの症状を言えない情けない自分で、薬を飲んでも良い結果にはならない面倒臭い自分であって、どうしようもない人間だから、こんなふうにひっそりと書くことしかできない。
こんな出来損ないだけど、書くという伝達方法は持っている! というのは、自分に酔って格好つけているであって、本当は社会性や、ぶれない強い意思がないだけ。
そう、こうやって特技(と思っている)の文章表現をしていても、結局自分を否定する。
そんな癖が身についている。
音が鳴るから、行動が抑圧゛される゛のではなくて、自分を否定する自分の心が、自分の行動を抑圧゛している゛。
全部、自分によるもの。とんだ茶番。一人芝居。
周りは一切関係ない。誰もこっちのことなど、気にもしていないから。
そんなことわかっているのに、わかっていない。
問題点だけ知っても、改善はできない。
気付けば、少し形を変えて、結局は同じようなことばかり考えているだけの、ただの堂々巡りの話。
突破口も解決の糸口も見つけられない。少なくとも今これを書いている心理状態の時には。
こんな起承転結の結もない。何も変わらない、現在進行形の個性。
良いのか悪いのかの判断もつかない。
おわり。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました