真似される理由
今回はくだらない愚痴を書く。低次元で幼くて醜い思い。
人には価値のないこととわかっているけど、思ったことを発散したくて書く。どうかご許しを。
最近、人とのコミュニケーションの手段の一つの、相手の真似をするという方法が気になっている。それをすごく気にしている。
たいてい自分に向けられた、相手の真似をするという行為は、悪い意味での方と思っていた。自分自身、いつでも社会人として、ちゃんとしていると言えない人間だから。
人としてのミスをしがちだから。うまくは言えないけど。
だけど、最近気になっている、自分の仕草を真似る人と自分の関係は悪いわけではなく、どちらかというと良好。
相手も自分も男で、相手は自分の上司。だからこそ自分は、相手がこちらの真似をする時は、自分が間違えていて、それを教えるために真似をしていると思っていた。
(この意見は、直接、口に出したり書いたりするべきではないことなのかもしれない)
しかも、自分はちゃんとしていると思っている時でも、真似をされることがあって、わけがわからなくなる時もある。
それで自分は、最近、真似をされる行為に敏感になってしまい、かなりストレスを感じてしまうようになっている。
それで、何が書きたいかと言うと、
その先輩のその行為自体、正しくない可能性があることに気付いたことと(真似をする行為が後輩への戒めだとしても、その先輩はそれを正しく使えていないという意味で)、あるいは、その先輩の真似をする行為は、全部が全部、悪い意味で行っているものではなくて、真似をする行動の中には、自分への親しみを込めている可能性があるかもしれないと思った。
後者に気付いたのがついさっきのことで、これらの一連の思いをまとめて、ブログに書きたくなって、今のこの記事に至る。
ここまでで思ったことは全部書いて、気持ちは少し楽になったが、そこに気付いたからどうするというところまで書きたい。
だけど、この先輩の相手を真似をする意味と何を考えているのかを、はっきりわかっているわけではないから、答えが出せないのも事実で、ここでこの悩みを解決する結論までは書けない。今は。
だから、この記事をどう終わらせようかというと、とりあえず気付いたことを良いふうに書いてしめにしようと思う。
つまり、今回、気付いたことは(それが正しいかはわからないけど、とりあえずそう思えたことは正しいかもしれない)、今もっとも身近な先輩のその行動は、必ずしも自分を苦しめたい、戒めたいと思ってしていることではなくて、むしろその行為には自分への親しみなど、自分に向けた良い感情が込められている可能性すらあるということ。
自分を成長させるために、人の行動を全部悪く受け取って、その都度自分を直そう(変えよう)とするのは正しくないとも最近わかった。
人の言葉を上手く自分の成長に繋げるために、自分の悪いところを直すためのメッセージと捉えていたが、それも度が過ぎるとただの被害妄想の変人の狂った妄想になるんだと思う。
自分がそれだったのだけど、最近それを自覚できてきた。
結局、今回も自分語り。いつものことだけど、これは需要はあるんだろうか。無い気がする、わからないけど。
よくわからない悩みの答えが出ず、なんか終着点のないふにゃふにゃした気持ちを書いただけとなったが、(と思うが)とりあえずこの記事はここで終わり。
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p.s.だいぶ前に遊んだ、シュタインズゲートというゲームを久しぶりにやってみたら、めちゃくちゃ面白かった。
五月の生まれて初めての挑戦と残念な結果
今月の生まれて初めては、UCCのミルクコーヒーとエヴァ劇場版のコラボ缶、通称エヴァ缶を買って、インターネットでグッズに応募したこと。
タイトルに挑戦と書いたが、その挑戦は応募のこと。
30本入りを2ケース買って、60枚のシリアルナンバーを入力したが、全部外れた。
ちなみに欲しかったグッズは、エヴァ缶イラスト全集。もしシリアルナンバーが余れば、折りたたみコンテナにも応募したかったが、イラスト全集が当たらなかったので、撃沈。
イラスト全集は欲しかったが、自分はもうこれで懲りたので、このコーヒーも甘すぎて大量に飲めないし、もう諦めた。
もうこれに関して、次回もサービスサービスゥすることはない。
みんなに一度におめでとうと笑いかけられることもない。
これとは関係ないが、アスカ、キャラクター、人気投票一位おめでとうございます。
以上。撃沈の生まれて初めて、終わり。
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アクタージュ11巻とエヴァ
アクタージュの11巻を読んで思ったことを書きます。
ネタバレあります。
アクタージュは主人公の夜凪景が役者として活躍していく話です。
11巻では一つの舞台の主役をしていて、11巻は最初から最後までずっとその話が描かれます。
夜凪景は舞台の脚本家の意図で、不安定な状態になりつつ舞台で演じています。
そのせいか、夜凪景は演じながら葛藤を抱えていて、その時に、幼い時の自分の姿をした自分の別の言葉に惑わされます。
精神世界で過去の自分と話す、11巻の前半からセカイ系が始まります。
夜凪景は葛藤しながらも、大きすぎる才能があるためにその葛藤すらも演技の魅力に変えます。それが脚本家の意図でもあります。
しかしそれでも危うい状態でありますが、一緒に演じる役者のフォローもあり、舞台はぎりぎりのラインを保ちながらも、かなりの完成度で進んでいきます。
ですが、最後の最後、舞台の幕引きの時に、それまで心が崩れる寸前の、ぎりぎりのラインを保っていた夜凪景はついに限界を迎えて、それまで保ってきた自分の思う演技をやめて、ただ台本通りに動くという心のない演技をすることで、観客の望むわかりやすくてきれいな終わり方で、舞台を終わらせようとします。
その時に、舞台の中でもっとも夜凪景を理解しているだろう役者の王賀美陸が、夜凪景の演技をストップさせて、舞台の進行を止めます。
王賀美陸含む、この舞台の何人かの役者は、今の夜凪景の行動を許したら、夜凪景の役者としての将来に傷がつくとわかっていたため、全員の総意でこの行動をしました。
舞台を止めてでも、役者としての夜凪景の未来を守りました。
それによって、夜凪景は役者としてやってはいけないことをしようとした、と気付いて、そのために周りの役者に舞台を捨てさせたことに胸を痛め、その場で泣き崩れます。
それと同時に夜凪景は、それまで自分を乱していた幼い自分の言葉と分かりあうことができて、つまり自身の葛藤から吹っ切ることができて、最後に美しい演技をして舞台を終わらせます。
観客にはこの最後の最後に起きたことは理解できず、難解で、置いてけぼりにされた気分、ですが夜凪景が泣き出したため、夜凪景の失敗で起きたことだとはわかっていて、よくわからないけど最後の最後に舞台側の失敗を見せられたと思います。
自分は、この状況が、エヴァの最終回とそれを観た視聴者の姿に重なると感じました。
作者が、アクタージュのこの舞台の話に、セカイ系を入れてきたのは、
製作者のやむを得ない事情のために、視聴者が満足できないものを見せてしまうことはあっても、その裏側では色んな思いがあって、ふざけた思いなどはなくて、色々考えた結果、こうするのがベストだと判断した、という製作者側の舞台裏の事情を伝えたかったのだと思いました。
自分はテレビ版のエヴァの最終回を作った製作者の意図はわかりませんが、
アクタージュの作者はエヴァの熱狂的なファンではないかと思いました。
それも裏付けがないので、推測です。
以上です。
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4月1日の生まれて初めて
今月の生まれて初めては、生まれて初めて空を飛んで生身のまま火星に上陸したこと。
本当はこのブログで、エイプリルフールネタを使うことが生まれて初めて。
おわり。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
今月の生まれて初めてのスクリーンショット
今月の生まれて初めての出来事は、生まれて初めて、PSVitaでスクリーンショットをしたこと。
ゲームやってたら、ちょっと撮りたいシーンがあったので、出来るかどうかを検索したら、本当にスクショ出来た。
ダンガンロンパの1をやっていて思い立った。女風呂覗くシーンを撮ろうと思ったのだが、さすがにそれはやめて、なんでもないシーンを撮った。
ごく当たり前にサービスシーンを残そうとした自分が怖い。オタク文化に浸かりすぎて、考え方も変わった。やらしい方に。
まだアニメとかに詳しくない前だったら、ここまでゲームの下系にがっつかなかった。少なくとも、今回の行動をしようとは思わなかったはず。
自分にパラメータがあったとしたら、常識的と理性が下がって、突発性とやらしさが上がった、という感じか。
危なすぎる。汗
といっても、オタクだから理性的ではないというわけではなくて(一部とんでもない人を見かけることはあるけど汗)あくまで自分自身が変わっただけ。
性癖はともかく、PSVitaでスクショ出来るというのは凄い発見に思えた。
それでスクショしたのをスマホに移したら、インスタグラムに、きれいにゲームのワンシーンをあげられる。
今まではゲーム機ごしに撮ってたから汗。
良いことに気付けた。
以上。おわり。
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オタク街道まっしぐら。ガルパンココスコラボに行ってきた
近くのココスの中から、西絹代の看板展示のところを選んだ。それと戦利品。
頼んだうにのスパゲティは千円以内だが、合計五千円の出費。
多分、また行く。
この日こそ、このブログの管理人が、正真正銘の、オタクの中のオタクとなった日である。
テンションが上がっているのか、別人のブログに感じる。
以上。
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hspについて思ったこと
さっき、hspの人の体験談を読んで、共感して自分を理解してくれる人もいるんだとわかって泣きそうになって、次にhspとスピリチュアルの関係をまとめたサイトを見たら、hspは予知夢を見ると書かれていた。
夢占いの内容が、当たっていることが多いけど、そういうことだったのか……と思った。
ようやく、自分もhspであると、はっきり自覚できたので、hspについて思ってきたことをまとめる。
hspを知ったのは何年も前だけど、自分がそうかもしれないと思い始めたのは、この一年くらいのことで、それでも確信が持てなかった。
自分に自信がなくて、自分の欠点をhspみたいなちょっとかっこよさげな性質で、語ることが悪い気がしていた。自分を卑下していて、悪いことなら簡単に信じるのに、自分の良いところが信じられない癖があって汗。
でも、体験談を読んで、自分と重なる部分が多くて、その体験談を書いた人が飾らない書き方をする人だったのもあって、自分がhspだとすんなりと信じられた。
体験談の中の一つにあったのが、ものごと、目の前の状況を自分にとっての悪い方、相手の良い方、自分の損する方に考えてしまうのもhspらしい。相手の気持ちが流れ込んでくるので、どうしても他人の気持ち優先で自分の意見を後回しにしてしまったりする。それを理解されなくて、疲れるし苦しいのに、それが当たり前になっている。
だから、万が一、関わる相手が悪い心を持つ相手だと、こっちは合わせているつもりや相手のことを考えて動いても、わけもわからず叩かれたり(不機嫌な顔されたり)、場合によってはこっちは相手のために動いても、良いように使われたり、悪者に仕立てられる(相手にはそんなつもりがないこともあると思う)こともある。
相手の気持ちがわかりすぎるため、ちゃんと考えずに動くと、ただのおせっかいになったり、騙されたりする。
相手にも悪気はなくても、相手も楽をしたくて、こっちに相手の負担が流れてくることもある。それをあからさまに拒絶することも怒ることも、相手が嫌な思いすることがわかるからできない。
こんな言い方をすると自分が気が弱いだけなのに、言い訳してると言われそうだと思ったりもする。そのせいで、これを口に出すのにも勇気がいる。
といっても、自分はちょっと疲れすぎて性格が破綻したからか、怒ることも人のことを無視することも平気になってきているが。これは絶対に良くないこと。そうとしか思えない。今までずっとそうだから。ただ、最近疲れすぎているから、悪いこととわかっていながら、平気でしてしまうこともある。
人を無視したり、嫌な態度を見せたり、怒ったりして、あとで後悔する、またストレスが増す、その繰り返し。
とりあえず、今回の記事はここで終わり。
こういう自分の本当の心を綴ると、書いている時も苦しくないし、気が楽になる。
おわり。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました