人付き合いの少ない狭い世界
正直、このタイトルの単語を言いたいだけで、この言葉に大きな意味などは込められていない。
しかし何かを思ったからこの言葉が頭に浮かんだわけであり、とりあえず、それについて連想ゲームのように書いてみようと思う。
まず自分は友達と言える人はほぼいなくて、仲の良い人間は本当に0だ。
語る前に、これを書くきっかけを書くと、3月のライオンの三巻で主人公に年賀状がほとんど届いていないことに共感し、このタイトルが浮かび書くことになった。
語りに戻ると、自分の場合は年賀状は誰からも届かない、親しい人がいないのだから当然だろう。
だが、これでもある時はスーパーマーケット、ある時は介護、ある時はデザイン、ある時は焼肉屋、ある時は土木、と、確かに自分は場所を変えて人と関わり自分の爪痕を残していっている。
ここまで書いて自分が何を言いたいのかがわかった。
自分は自分大好きで人には興味の無い人間だ。そんな人間の見える世界はとても狭いだろう。
自分は小説が書けるので自分の世界は確かにたくさん持っている。しかしいざ世間を見た時には観察はするとしても見えているものはとても狭いのだろう。人の心はよく見えていると自画自讃するとして、それ以外の誰でもわかる物の名称がわからないこともざらにあり、当たり前の知識や常識は圧倒的に足りていない。
これでは書けることも書けない。
人の心だけではなくもっと違う風に、人から与えられる情報に貪欲になり目を向けていかないと。
最低限の知識や常識が無いことは必ずマイナス面となる。それが無いだけであらゆる能力が限られてくる。
というところか。
課題は見つかったとして、その前にもう一つ大事なことがある。
それは自分のことだけではなく、人のことも考えて生きるということ。
それが出来ないなら正直人から見ていつまでも子供のままで、それどころかそのまま年を重ねればその内人間ですらなくなるだろう。それはとても怖いことだ。
今は22歳。まだ人間として大人になれるチャンスは僅かに残っていると思う。今変えないといけない。
人のことを考えて動くこと、それが社会性だろう。
あと会話において自分語りは需要が無いのだ、それよりも共通の話題で楽しく会話をした方が良いのだろう。
ラブマイセルフは自分が使うと本当に自分のことしか考えなくなる言葉だ。なのでブログのタイトルを変えようかな。
ここで旧inoue_lovemyself’s diaryは名前を変える。
これからはなるべく自分以外に目を向けて記事を書く。
以上。